wannabeneet’s blog

ワナビニートによる書評が中心のブログ 

僕が何故ニートになったのかを真面目に考えてみる。

 なんとも直裁で夢も希望無いタイトルだが、自分がニートになるんじゃないかって不安な人には役に立つかもしれない。

 

 労働意欲の低さ

 

 出落ちじみていて恐縮だが、これが一番の要因なのではないかと思う。僕は人生で働いたことが数えるほどしかない。その時特に嫌な思いをしたわけではないが、楽しいわけでもなかった。

 

 しかも、僕は斜に構えたところがあるから、企業の都合がいい、宣伝文句を聞く度に冷笑していた。積極的に入りたい企業もなかったのだ。かなり適当に、福利厚生だけ見て、入れそうなところを選んでいた。まあ入れなかったわけだが。

 

 それにある程度親が養ってくれるだろうという見込みもあった。(そして、実際に養ってもらっている)つまり、積極的にも消極的にも労働する気になれなかったのだ。

 

 労働意欲の低さは当然就活の熱心さにも影響する。まず、エントリーシートやら面接がどうしても雑になってしまう。やりたくないことに全力をつくすのは、人格分裂でもしていない限り無理だ。

 

 それに採用の試行回数という点でも不利だ。僕は春に始めて、夏頃には就活を諦めていた。なんたってスーツが暑かったし。

 

 知り合いに内定をなかなかもらえない人がいた。当初、マスコミ関係を志望していたので、倍率が高かったのだろう。だけれども粘り強く行動し、他業界から卒業間際に内定を得ていた。だから、ギリギリまで頑張っていればニートにならなかったニートもたくさんいると思う。

 

 コミュニケーション能力の低さ

 やる気が無いのもあったが、コミュニケーション能力の低さも否めない。

 

 就活でコミュ力が低いのは相当致命的だ。どの企業も判を押したように、コミュニケーション力を求める。僕は人見知りだ。親しい友人はいるが、初対面の相手と話すのはかなり精神的につかれる。面接なんて地獄だ。ベトナム戦争だ。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 ちなみにこんな記事があった。この記事が面白いのは就活に限らず、今の社会でコミュニケーションの重要性が増していると指摘していることだ。そして、職業面で言うと、そもそもコミュニケーション力が必要ではない職種が減っているのである。コミュ力低い人間からすれば、コミュ力を求める就活、面接が悪いといいたくなるのは分かる。だが、もっと根本的なところに原因がある。コミュ力が低い人材は実際あまり必要ないのだ。

 

 具体的に面接を振り返って考える。会話が途切れることはほとんどなかったと思う。だが声の抑揚や、表情の変化がなさすぎた。集団面接で表情豊かに話す人を見て、頑張っているなあと思っていたぐらいだ。

 

 うまく話せるように、金麦一缶開けて、面接に趣いたことがあった。酒はあまり強くないので、金麦一缶でもほのかに赤くなっていた。僕はのっけからアルコールの力で笑顔を交えて喋る。なんと会話は弾んだ。(酔っ払って錯覚していたのかもしれないが)終わり際には

 

面「問題ないね。あとは君が来てくれるかどうか」

僕「本当ですか!」

面「うん。二次以降も大丈夫でしょう」

僕(やったぜ)

 

という社交辞令までくださった。その後御社から連絡が来なかったのは、何故なのか。不思議である。

 

 コミュ力の低さと意欲の低さの二重奏で僕が面接を突破できたのは一回しかない。それもグループディスカッション。当たり障りのない事を言ってたら何故か通ったので、よほど会話ができない学生をふるい分けるだけのものだったのかもしれない。

 

ニートは辛いよ 

 

 なんというか当たり前、ありきたりの原因になってしまった。ニートにはおもしろい文章を書くことも難しいのかもしれない。とは言え、他山の石としてもらったら幸いである。

 

 ちなみにニートは時間が自由なのはいいが、辛い。まず、社会的地位もないから周囲の目が気になる。それに将来の展望もない。まあ、これは金があればだろうが。

書評 フィリップ・k・ディック『偶然世界』

 ディックと言えば映画化された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(映画は『ブレードランナー』と改題)が有名である。何故わざわざ本作『偶然世界』を取り上げたかというと何の事はない、たまたま今日読み終わったからである。

 あらすじ

 本作の舞台では九惑星系の最高権力者が偶然によって交替する。そして本作では新しく権力の座を射止めた、カートライトと元の最高権力者、ヴェリックとの権力をめぐる対決が描かれている。

 具体的には元の最高権力者が新権力者を殺害しようとする試みる。こう書くと物騒だが、新しい権力者に刺客を送り込むのは公的に認められているのである。逆に言うと、公認の刺客以外が暗殺しても権力を取り戻すことは出来ない。そして新権力者カートライトを守るのが、一定の近さにいる人間の思考を読むことが出来る、テープ部隊である。以下、大幅なネタバレなので注意。

 

 そのテープ部隊に旧権力者ヴェリックが対抗する方法は偶然性である。ヴェリックが送り込む刺客は人間ではない。人間のオペレーターが遠隔操作する義体のようなものだと思って差し支えない。そしてそのオペレーターの交替はあらかじめ用意された二四人の要員の中からランダムに行われる。次々と人格が切り替わって行くので、テープ部隊は、思考の連続性を追うことが出来ないのだ。また交替がランダムなので次のオペレーターが誰かも読むことも出来ない。

 感想

 最高権力者が偶然性によって、選ばれるという仕組みは、投票による民主主義に慣れた私達にとって、かなり突飛なものに思えるだろう。だが、くじ引きによる民主主義の起源は恐ろしく古い。なにしろ民主主義が発祥した古代ギリシアの時代からあるのだから。

blogos.com

 以下は政治学者の吉田徹が書いた記事の引用である。

 

 (前略)古代ギリシャ古代ローマ、あるいはルネッサンス期のイタリアまで、近代以前の民主政治では、統治者の選出にくじ引きが普通に用いられていた。古代ギリシャでは、行政官や裁判官を含む公職の約9割がくじで決まった。

 ディックがこのような歴史的背景を知っていたか、どうかは無論、定かではないが。

 SF特有の設定と奇異な単語に少し躓くことはあったものの、すぐに読破することが出来た。最近読みづらい小説ばかり手に取っていたせいかもしれないが。新権力者を殺害しようとする側とそれを防ごうとする側の戦いは、単純に読み物として読んでも面白い。ゲーム理論や偶然性などの要素も深く絡んでくるので、それらについて考える楽しみもある。ディックファンやSFオタク、あるいはあらすじを読んだだけで興味を抱いた人ならば読んで損はないだろう。ただ、宇宙船などの機械的なSF要素に対する説明はそれほど多くはない。機械に対する重厚な描写を好む読者には本作はあまり向かないだろう。

 私としては、同じディック作品ならば『高い城の男』のほうが面白かった。もっともこれは、私が歴史好きであることを値引いて考えなければならないのかもしれないが。(『高い城の男』は枢軸国が二次大戦に勝利した世界が舞台である)

 

偶然世界 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-2)

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高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

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就活に失敗し留年に逃げるニートまっしぐらのエリート。基本的に小説やらの書評を中心にブログを書くつもり。あと社会問題に適当なツッコミを入れたりするかもしれない。